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中学時代。「なんで制服着なあかんの?」それに答えてくれようとする先生もいた。「黙って規則守っとれ!」とキレる先生もいた。答えてくれる先生は、猛烈に好きになった。答えない先生は、猛烈に嫌いになった。怒られてもいい。理由が欲しかった。スジの通らないことは校長だろうが徹底的に反抗し、自由を求めて戦った。高校2年の頃、そんな僕をどこで見ていてくれたのか、ある先生が言い出した。「お前は型にハマらんヤツだから、海外に出たらどうだ?」。見つけてくれた留学先はオーストラリア、キャンベラの語学学校。英語なんて話せやしない。けれど、18才の僕は自分を探しに渡航する。 |
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1年目は徹底的に遊んで、2年目に6才から始めたバイオリンを武器にブリスベンの音大に入った。生活のためバイトは必須。僕はカフェで働きまくり、いつしか責任者になっていた。ある日、その店に一人の老人がやってきた。「カプチーノをくれ」。しかし僕が運んだとたん、しかめ面をして「これはカプチーノじゃない」と突き返す。本場イタリアからの旅行者だった。僕も意地になり「これがウチのカプチーノです!」と言い返す。押し問答のあげく、「教えてやる」「教えてくださいよ!」彼はキッチンに入り込み、指示をしながら自分のカプチーノをこしらえて、それを飲み干し、満足げな表情で帰って行った。数ヶ月後、店に一通のハガキが届いた。僕宛で消印はイタリア。「あの日は、わがままにつき合ってくれてありがとう。あれからカプチーノを飲むたびに君のことを思いだすよ」僕は今まで感じたことのないものが湧き上がってくるのを感じた。「飲食業って、なんかスゲエ仕事なんだ!」そしてその場でオヤジに電話して「オレ、飲食業をやる」と宣言し、音大を辞めた。探しても探しても見つからなかった、自分自身の存在価値が見つかったからだった。 |
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ビザが切れ、帰国して仲間の紹介である飲食企業に入った。志も熱かったし、全国に急拡大する勢いがたまらなかった。しかし、仙台に飛んで2度目の結婚をし、子どもが生まれた頃、僕は急坂を転げ落ちはじめた。会社の勢いがパタッと止まり、僕の改善案もあえなく却下。そう、理由もなく。もうその会社は以前の会社ではなくなってしまっていた。そしてその頃、女房の裏切りが発覚した。僕は仕事を辞め、7万円だけ持って「これが無くなったらオレの人生も終えよう」と家を飛び出した。もう人が信じられなくなっていた。残りが1万円を切ったころ、僕は耐えきれずオヤジに電話した。オヤジは「帰ってこい」とだけ言った。おふくろは僕の変わり果てた顔を見て泣いた。落ち着いたころ、オヤジが言った。「悠太のために頑張れ」と。離れていても息子は世界一愛していた。オレには守るものがある。そこから僕は前を向いた。そして最初に出会ったのが、三光。この会社だった。 |
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出会う人たちが、みんなすごかった。負けず嫌いの僕が、喜んで負けを認めてしまえるほどに。社長は上場企業のトップでありながら、お掃除のおばちゃんと仲良く話しをしている。地区長の木村さんは、全員が反対した僕の施策に「店長である君が理由をもって考えたんだろ?だったら、俺は応援するよ。理由があるなら失敗を怖がるな。腹をすえろ」と、忘れかけていた自分自身へのこだわりを思い出させてくれた。僕は人を信じて仲間をつくることを、ここでまた始めた。働く人たちにとって理想の店を追い求めることこそ、この会社では正しいことだと知ったからだ。先日、オヤジが僕の顔を見てポツンと言った。「青臭いころの顔に戻ってきたな」と。もう僕はためらわず、君に言う。仲良くやろうぜ!一生、きれい事を追い求めていこうぜ! |
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